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ひろしまギャラリー

宮島焼[広島県指定伝統的工芸品]山根対厳堂 / 株式会社 川原厳栄堂

製造/出展 山根対厳堂 / 株式会社 川原厳栄堂
所在地 廿日市市宮島口1丁目2-6 / 廿日市市宮島口1丁目5-15
TEL (0829)56-0027 / (0829)56-0238 事業内容 宮島焼の製造・販売
業務内容 宮島焼の製造・販売

「宮島焼」は、江戸時代から焼かれ始め、「お砂焼」の名でも知られています。その当時、安芸の国の人々は旅の道中の安全を願って「旅の守り神」として知られる厳島神社の本殿社下の御砂を「お守り」としていただき、帰郷時には御砂に旅先の砂を加えて返す「お砂返し」の風習が生まれました。江戸時代中期になると、その砂を使った焼物を作り奉納する人が現れました。これが「御砂焼」の始まりだと言われています。その後、何度か窯の興廃がありながらも、明治の中頃には現在の確固たる基礎が固められました。粘土に砂を混ぜると窯変が起こりやすく、独特の風合いを醸し出すのが「宮島焼」の特徴です。

・もみじ紋 縁 フリーカップ(ブルー) ・もみじ紋 縁 焼酎カップ(黄色)

山根対厳堂

「京都 宝山窯」で修行を積み、技を磨いた「山根重助(初代 山根興哉)」は、大正元年に大野町へ帰郷し築窯。まもなく厳島神社の祭器制作を命じられるとともに、御用窯の栄を賜ることとなりました。現在では、県内外・海外からお越しのお客様にまで幅広くご用命頂き、2009年には「ザ・広島ブランド」にも認定されました。

・多用盃(たようはい) ・緑流れ鶴首一輪差(みどりながれ つるくび いちりんざし)

川原厳栄堂

明治42年、「京都 宝山窯」で修行した初代陶斎 川原富次郎が、陶器を大量に焼成できる登窯(のぼりかま)を築窯し、創業を開始しました。以来、途絶えることなく伝統は継承されています。
「厳栄堂」から独立した「圭斎窯」は、初代陶斎 富次郎の次男 繁夫によりおこり、次代へと受け継がれ、現在に至っています。

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